山内溥さん




任天堂・山内溥氏死去 TVゲームを世界的産業に押し上げた「中興の祖」




合掌。私は人生の50%ぐらいはファミコンから学びました。残りはガンダムとスターウォーズと水木しげるとYMOと南伸坊が10%ずつぐらいです。それはさておき、影響を与えた人がこの世を去るというのは、本当は自分がもう影響を与える立場になってなきゃならないという焦りに変換されるので、モヤモヤとします。どうしたもんでしょう。




山内氏の偉業については他でもいろいろと記事が出るでしょうから、
私なりの視点で少し触れておきたいと思います。




いつくかの資料を読んで分かった事なのですが、1985年ごろまでは山内社長も横井氏もゲームブームが続かないのではないかと危惧していたようです。
もちろん、TVゲームで先行していたアメリカを見ていれば、そのあたりの予想は難しくはないと思いますが、危惧するだけではなく積極的に対策の布石をパチンパチンと打っていたことに、まず感銘を受けます。
その布石となったのが、光線銃であり、ロボットであり、ファミリーベーシックだったようです。
結局は取り越し苦労であり、その危惧はマリオのヒットやドラクエの登場で払拭され、ロボット玩具はゲームのように続編が出るようなヒットには至らなかったのはご存知の通りです。




コンソロイドガイドブックは内容を圧縮して書いたので、ファミコンとロボットとの大事な関係性について、削除してしまった部分があります。今回はそれについて少し触れておこうと思います。

国内ではゲーム機ブームの延命装置だったファミコンのロボットでしたが、アメリカ戦略においてはまた微妙に違う意味があったようです。

1985年当時のアメリカのTVゲーム市場は、いわゆるアタリショック(右肩上がりだったゲーム市場が、クソゲーの乱発で委縮したという説)の後遺症で、TVゲーム機というだけで流通から毛嫌いされるという状態だったそうです。
そこで、任天堂はファミコンをゲーム機ではなく新しいエンターテイメントシステムであると売り出す作戦を考えたそうです。
ロボットや光線銃を投入し、それまでのゲーム機との違いを積極的にアピールしたわけです。
作戦は大成功し、流通の壁をロボットというトロイの木馬で潜り抜けた米国版ファミコンNESは、ご存知のようにヒットとなりました。
特に光線銃は定着し、日本では人気が出なかったWii用のバズーカなども、米国ではヒットしたようです。

一方のロボットはその後どうなったかというと・・・そこでミッション終了、完全にお役御免となりました。
ファミコンロボットは使われている技術やデザインなどが優れている一方で、横井氏が担当したにもかかわらずゲーム性は低いまま発売されました。物珍しさ以上のアピールポイントがなかったロボットは、背負った役目にその理由があったのかもしれません。
企業としては作戦成功なのに、ターゲットだった子供の目には残念に写るという、なんとも妙な結果です。
当時の私も、ファミコンロボットは気になりこそすれ、特に欲しくはならなかったのを覚えています。

もし、ファミコンで遊ぶロボットが、十分なゲーム性を発揮していたら?
多くの人に遊ばれ、そしてゲームブームと平行して独自の進化を続けていたら?
そして、どうすればその進化が発生し得たのか?
そのあたりのIFの世界をSFファンタジーにまとめたのが右の「コンソロイドガイドブック」でございます。という宣伝でした。(無料で読めます。)




以上の話は、「横井軍平ゲーム館」などに詳しく載っています。
ネット記事では上村氏のインタビューなども面白いです。
上村氏ごしに山内氏のことが伺えます。
ファミコンがなぜエンジ色だったのかも解決します。(エンジのプラスチックが安かったからではないようです。)
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二名川(ニナガワ)

Author:二名川(ニナガワ)
ホビーロボットをレトロゲームが発展したものと捉えて楽しく遊び倒します。
子供が夢を見ている時間帯に稼働します。

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「コンソロイド ガイドブック」
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汎用ヒト型決戦遊具 ~RX計画~
RX-7.5 ゼロタンク
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以下続く

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